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版木の縁から

 板目木版画の制作に際して、筆者が最初に版木に対して行うことは版木の角を斜めに落とすことである。画面の大きさの版木に罫引きを使用して縁から2mmのところに線をひく。その線に沿って表面層の木口の辺は版木刀で、同じく板目の辺は平刀で角を落としていく。表面層と書いたのはとも芯のシナベニヤを使用しているからである。木口側は繊維を切断する方向に刀を入れ、神経を集中させてゆっくり刀をひく。板目側は2度に分けて、1度目は角を適当に落としつつ逆目を探りながら刀がもぐらないように、2度目で縁がまっすぐになるように刀をおしていく。逆目に入ったら版木の向きを変えて、いままでの進行方向の反対側から刀を入れる。まずこの作業を版木全てに対して行う。版材に事前に施す下準備という点で、銅版のプレートマークをつくる作業やリトグラフの余白用に予めアラビアガムを塗布する作業と似ている。そして、それらと同様に版木の角を落とすのも技法の特性に基づいた作業である。版木の縁への細工、その理由をいくつか挙げながら、それに関する水性板目木版の版と摺りの一端を紹介したい。

 版木の縁を落とし、斜めにする理由は大きく2つあり、ひとつは版木の強度を保つためである。この原理は通常、版木の縁に限らず版を彫るときに使われ、版木を断面から見たとき台形になるように版木刀をやや斜めに入れる。色面の端が直角や、またはそれ以上に内側にはいっていると、ばれんの加圧によって欠けたりへこんだりしてしまうので、彫り残したところが山型をしていた方が強度は高い。また、版木刀は鎬の角度がついているため、たとえ刀の柄を垂直に持っても自然と断面は台形になる。版木刀がでてきたので蛇足だが、版木刀は直線だけでなく細かく切り廻すので刃の鋩子が欠けやすい。そのためみねおろしといって、みねの先を砥石で削る。こうすることで刃とみねの角度が開き、鋭角であった切っ先を直角に近くして、刃の先端が欠けるのを防ぐのである。これも同じ理屈であり、角度をより鈍角に近づけることで強度を確保している。正確に45度の斜めに縁を削ったとしたら135度の角が2つでき、直角よりも高い強度を持つようになる。版木を全面使用しているため版木の縁も画面の一部であるが、何かの拍子にぶつけ、版の角をつまり画面の一部を欠くことがある。これを防ぐために版木の縁を落とすのである。
 複数版を正確に摺り重ねるにはその仕組みが必要であるが、それが見当である。見当板を用いることにより、版木の縁がそのまま画面の端になり、版木を最大限に利用できる。そのため、版木の全辺の縁を斜めに落とすことになる。見当板とはL字型をした板に見当を彫ったもので、見当板の内側の角に版木の角を合わせ、見当板に対しての版木の位置を決める。そして見当とはL字型のかぎ見当と直線の引き付け見当からなり、版木に対して紙の置く位置を決めるガイドである。紙が引っかかるように見当の画面側をうすくさらい、紙の角をかぎ見当に当て、引き付け見当にその角を含む一辺の反対側の端を合わせる。紙の短辺よりも長辺を用いた方がより精度が増す。かぎ見当で左右を決め、その後引き付け見当に合わせて上下を決め、紙を版上におろす。見当により常に紙を同じ位置に置くことができる。見当板は版木と紙の位置の両方を確定させる。1版目も2版目も、1枚目も2枚目も同じ位置に置くことができ、ずれなく摺り重ねることができる。
 摺り重ねに精密さを要求される最も顕著な例が錦絵である。錦絵ではアウトラインによる主版が使用され、その線のなかに複数の色面をきっちり合わせていかなければならない。ずれることが許されるのはその線の太さの範囲内である。錦絵の版分解法は主版を中心としたものである。絵師が薄美濃などの薄い和紙に墨で描いたアウトラインのみの版下絵を、山桜の版木に裏返しに貼り込み、彫師はその黒い筆の線を残して彫りあげる。最後に見当を画面の外に彫る。こうしてできた主版を見当も含めて色版数分摺る。これを校合摺といい、これを絵師に差し戻し、色版用の指示を描き入れる。再び彫師に戻された校合摺を、版下絵と同様に版木に裏返して貼り込み色版を彫り上げる。このときに校合摺に摺り込まれた見当も併せて彫る。こうして一つの版からできた複数の色版のため、画面の位置と見当との位置関係が同じであり、ほぼ正確に重ね合わせることができる。最後に微妙な修正が必要なときは、見当のみという薄い刃の平のみで見当を少し削る、または細い板を薄く削り見当に埋木して見当を上下させて合わせる。
 このように本来、見当は版上につけ、またその方が見当板に比べて通常は精度が高い。山本鼎(やまもとかなえ1882-1946)は木版のことを刀画と称したが、筆者はどちらかというと摺りを本位として制作している。それ故、あまり刀の形状に頼った彫りや細かく彫ることをせず、版を大きく彫り残すことが多いため、自然と摺り重ねる部分が多くなる。重ね過ぎると彩度、明度ともに落ちていくので版数を絞ることになる。重ねが多く、版数が少なく、主版も使用しないので、摺り重ねの精密さをそれほど要求されない。そのため摺り重ねに見当板を用いても何ら支障がない。
 見当板を用いると通常は画面の外が版木の外になるが、縁を落とした2mmという細いスペースに摺りによる表現に必要な情報を付すことができる。例えば、ぼかし摺りのぼかしの開始位置やぼけ足の終了位置などの目印を斜めになった版木の縁に文字通り刻み、常に同じようにぼかしを摺ることができる。試摺りで様々なパターンを試みたのちに得られた画面に対してのぼかしの配置は、その名前のとおり確固たるものではなく、特にぼけ足の長いぼかしは目印なしには同様に摺ることが難しい。しかし、このことは版木内に見当を付けたときには、画面外に余地があるため、意識すらされないことであろう。

 そしてもうひとつの理由は、絵具たまりの防止である。絵具たまりは版木に絵具がたまることであるが、版木と絵具の関係の前に、まず絵具と紙の関係にふれておきたい。水性板目木版で錦絵の技術を基にした場合、絵具はばれんの加圧によって紙のなかに押しやられる。よって摺りあがったばかりの紙を重ねても裏移りがないという特徴がある。一方、油性インクは裏移りが今日の印刷で問題視されることからも分かるように、その粘度と圧により紙に食いつき、溶剤が多少染み込みはするが色材、ビヒクル等のインク本体のほとんどは紙の上に固着し、載っている状態である。浮世絵版画の鑑賞法のひとつに裏ゆきというものがある。これは表からだけではなく、ばれんでこすられた紙背からも鑑賞することで摺り師の技を見る方法である。摺り師がまさに摺っている最中に見たものを追体験できる。また、木版技法で正面摺りや両面摺りというものもあり、紙の裏側から摺り、表側に絵具が染み出るように加圧した表現もある。これは1950年代後半、版画家、萩原英雄(はぎわらひでお1913-2007)が開発した技法で、裏ゆきから着想された。1)これらは紙のなかに絵具を押し込むという特徴から生まれたものである。
 版画では技法上、使用できる白は2通りある。1つは色材の白。これは絵具やインクの白であり、別の色と混ぜて使用するなど、使い方は他の絵画技法と同じである。もう1つは支持体である紙の白である。銅版画にはモノクロ作品が多いが、インクの黒とともに紙の白が重要な要素として成り立っていることが分かる。そして、特に水性絵具を用いる板目木版の場合、色に水を混ぜ、うすくして摺ることで明度を上げることができる。これはばれんの加圧によって紙の白に絵具を混ぜたといった方が、より正確な水性板目木版の考え方と言えるだろう。浮世絵版画ではしばしば女性の肌に和紙のそのままの色が使われるが、この柔らかな風合いとばれんの加圧に耐える強靭さを兼備する和紙は、支持体としての役割とともに重要な画材のひとつである。
 絵具を紙の中に押し込むばかりではなく、意識的に紙の上に残すことでまた別の表現が可能になる。その顕著な例として、摺法の一種に浮かし摺りというものがある。地墨ばれんを用いて、絵具の粘性を利用して紙に付着させ、紙の上に置くように盛るように摺る方法である。地墨ばれんとは錦絵の主版である墨の線を摺るための効きの弱いばれんである。主版は線で成り立っているので摺る面積が少なく、そして摺るべきところがとびとびであったり、間が大きく開いていたりするなどの主版の特徴に対応して、ばれん芯が細く、径が大きいばれんのことである。筆者は浮かし摺には地墨ばれんよりも弱い、円板にフェルトを貼り付けたばれんをつくり使用している。フェルトでは湿った紙の上を滑らないため、紙を痛めぬよう紙背に当紙を敷いて摺っている。色材の強さをダイレクトに見せることができる表現である。また絵具の硬さや量を調節すれば木目も摺ることができる。
 版木と絵具の関係を説明するためには、まず摺りに欠かせない道具である刷毛を説明しなければならない。刷毛は絵具を版面に均一に伸ばすためのもので、コシのある馬毛を用いたものである。日本古来のものは馬毛を桜の皮などで巻いて、持ち手の形をした板のあいだに挟んだいわゆる刷毛であるが、明治以降、現在ではブラシ状のものが多用されている。この刷毛の毛先を焼いて平らにし、角を丸める。その後、鮫皮のヤスリに当ててこすり、毛先を細かく割いて枝毛状にする。この刷毛おろしと呼ばれる作業は枝毛にすることでボリュームを失わずに毛先を柔らかくする。粗い紙やすりやベルトサンダーで刷毛おろししたものは柔らかくはなるが毛先が細く削られる。うまく刷毛おろしされた刷毛は1本1本が確認できないほど深くマットな色になり、馬毛であるにもかかわらず頬をこすってもふわふわとした感触になる。市販の2種類の歯ブラシ、ライオン株式会社製のデンターシステマの超極細毛と、サンスター株式会社製のOra2(オーラツー)のミラクルキャッチ毛は歯や歯茎に対してはどちらもとてもよいものだと思うが、1本1本が細くなっている超極細毛よりもそれぞれが枝毛状になっているミラクルキャッチ毛のほうが刷毛として使用するにはより向いている。当然歯ブラシで摺りはできないが、浅草の宮川刷毛ブラシ製作所で売られている通り、靴ブラシをはじめ洋服ブラシ、そして歯ブラシなどと近い技術で作られるようである。
 版木の縁も画面の一部であることは既述したが、絵具たまりの防止も版木の縁に限らず、摺るときに版上で行われるものである。刷毛で版面に絵具を伸ばす際、毛細管現象で絵具の量を刷毛のなかで自然に調節してくれる。版面と彫ってある部分の境界、特に細かく彫ってある部分に最も絵具がたまりやすい。版面の側面に絵具がたまっていると、本来摺られるべき色面に載っている絵具に引っぱられて紙に付いていってしまう。側面には圧がかからないため紙のなかに入ることはなく、これはときに絵柄のエッジのシャープさを欠くことにつながる。全面に均一に絵具を広げると同時に、細かく彫ってある部分にたまる絵具は刷毛の毛先でとることができる。版面の端が斜面の場合、刷毛の毛先が届くので摺る部分と同様に絵具の量が調整され、多くの絵具が残ることはない。刷毛が絵具を吸い込みながら適正な量を版上に残していく。たまるほど残らなければ紙を伏せてもつくことはない。逆に、版面の端が直角やそれ以下であったなら、刷毛が絵具を吸い取るどころか、逆に版木が刷毛についた絵具を掻きとってしまい、そこに絵具がたまりやすくなる。版木の縁も画面の縁であるので斜めにし、絵具が溜まらないようにするのである。のこぎりで挽きっぱなしの版木の縁を名実ともに画面の端にするという意味合いもある。
 さらに、版木の縁に絵具がたまらないつくりは、見当板を扱ううえでも有効である。見当板を版木にセットした際に、見当板の版木に当たる側面には版木の側面についた絵具がどうしても付着する。見当板と版木は見当合わせという本来の目的のため、同じ厚さである必要がある。版木の縁が斜面になっていないと見当板の側面の上面近くに絵具が付着し、見当板を外すときに付着した絵具を画面の余白にすってしまい、汚れの原因となる。摺るときには紙の画面の余白に見当板の空摺りのような跡がついてしまうため、見当板は必ず外さなければならない。版木の縁が落としてあると見当板と版木が接するのは、厚みの中央部に限られるので、紙を汚すことはほとんどない。 刷毛で版上に絵具を伸ばす際に、色面の外の不要な部分にどうしても絵具がついてしまう。そこは紙が落ちないように版木を深く浚い、その幅はおよそばれんの径の半分弱位必要である。これは色面の端までばれんの中心で摺るためである。この幅がばれんの径よりも大きいと浚った下にばれんが紙を落としてしまうことになる。色面の深く浚った彼岸は傾斜をつけ、角を落としてなだらかにしておき、ばれんの圧がかかっても紙を痛めないようにするのも摺り重ねには重要なことである。

















1) 版画藝術98 阿部出版 1997年 p79-80に詳しい

 清宮質文(せいみやなおぶみ1917-1991)は1950年代から90年代の初めにかけて活躍した版画家で、多作であったとは言いがたいが木版画を中心にガラス絵、水彩画などを残している。画家で版画家でもある清宮彬(せいみやひとし1886-1960)を父に持ち、木版を中心にした静謐な絵で知られ、現在でも筆者を含む多くの木版画家に影響を与えている。
 清宮は摺りにこだわった。同版木から数種の色違い作品が残されていることや、他人に任せることができないであろう摺りがそれを証明している。仕事勤めを辞し、本格的に制作を始めた初期から凹版摺りを用いた作品が見られる。清宮は水性板目木版を凸版で摺り、最初に鉛筆で版木に描いた線を凹版にして、それを最後に摺り重ねる。この凹版摺りは線をはっきり出そうと意図するものではなく、凸部にはうすく色がつき、凹部には盛り上がって色がつく。銅版の場合、プレス機による強い圧とフェルトの柔らかさにより凹部のインクをひろう。70を過ぎた清宮が死の5日ほど前に腕立て伏せを励行したと伝える新聞記事2)からも分かるように、凹版摺りには大変な体力を要する。同記事が清宮の江戸の匂いについても言及しているが、錦摺る畳の上の力車と言われた摺師の存在を思い出さずにはいられない。また、清宮の木版画作品の多くに刷毛目と木目が確認できる。刷毛目は馬毛の刷毛のコシを利用して、版上に絵具を広げる際に刷毛目を残した状態で摺りとる。版木を彫ることで刻まれた形以外に、画面全体に流れや方向性、奥行きを与えるものになっている。また、木目を利用した摺りを施しているものもある。木目が自ら彫った形態とともに画面を構成する重要な要素となっている。桂の版木を多用した清宮は、木目を活かすため画面に対して版木を選んで、そして版木のなかでの位置や方向も考慮して配している。版木を見て、木目を見て、絵を考えることもあったそうである。版画家の雑記帖と呼ばれるノートからの一文である。

「これまでの私の版画をふりかえってみると、あるイメージに出来得る限り近づけようと版の操作をしていたといえると思う(このイメージは版ということを考えない)。これからは「版」そのものの持つ面白さの上にイメージを組み立ててみることを試みてもいいだろう。1966年2月19日」3)

 1997年、神奈川県立近代美術館で清宮質文展がおこなわれた。この展覧会に出品されていた清宮の版木の縁が斜めに落と落とされていた。これを見た筆者は、版木の縁を斜めにするのには何か秘密があるのではないかと勝手に推測して、早速真似をし、以来ずっと続けている。しかし、彼の場合は前述の通り、画面のなかで木目を活かす摺りをしていたので、版木のなかでもっともよい場所を選んで画面の位置を決めていた。清宮に他意はなく、彫版のセオリー通りに彫っただけで、画面が版木の端にきてしまったから縁を斜めに落とすように彫らざるをえなかった。システムとしての版木の縁を斜めにする作業は、筆者の勘違いから作りあげられたものである。
















2) 「江戸の匂い」の木版画家逝く 朝日新聞1991年7月19日夕刊文化面 (倫)
















3) 日本現代版画清宮質文 玲風書房 1992年 p76 l 29-31

 作業だけを見ると、ただ版木の縁を斜めに落としているだけだが、しかし、この作業は、絵と技法との関係、道具や作業との関係などから総合して見なければならない。そうして見たときにはじめて筆者にとっては合理的なものであると言える。版画の作業には全て理由が存在し、多くが関係し合いながらかたちづくっているひとつの例を本稿では示してみた。同時に気をつけなければならないことは、表現の多様化した現代版画において、必ずしもこれらが合理的な場面ばかりではないということである。錦絵については版元を中心とした制度として、様々な職人が作業をするうえで合理的な方法を採りながら、技術に明確なルールが必要であった。近い過去から遠い過去まで様々な先人たちの技法、技術などを参考にして、その理由と効果を考え、理解し、新しい発想も加えて自分なりの組み立てを作っていくことが技術的な素養も要する版画家としての資質ではないだろうか。それが、銅版画のプレートマークやリトグラフの余白用のアラビアガム塗布と違い、技法書には一般に載っていない版木の縁の処理に対しての筆者の小さな自負である。


<参考文献>
異色作家シリーズIII清宮質文展-木精の魔術師-図録 神奈川県立近代美術館 1997年
住田常生編集 清宮質文のまなざし 高崎市美術館 2004年
青木茂監修 カラー版世界版画史 美術出版社 2001年
(初出:『筑波大学芸術年報2005』筑波大学芸術学系 2005年 岩佐徹 「版木の縁から」 *webサイト掲載時に本文の一部を変更しました。)



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