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孔版画によるスタンプラリーの試み

はじめに
 2009 年8月に茨城県で、「常総市まちなか展覧会 かわらないもの...」が開催された。この展覧会では、鑑賞者が古い建築物や公園といった点在する会場を巡る方式で、彫刻、絵画やインスタレーションなどが展示された。筆者は、矢口金物店という明治5年築の元商店の内部にある、太い梁の下に備えつけられた幅3 m ほどの横長の棚に、木版画をはめ込んで展示した。
 この事業のもうひとつの柱として、「こどもとおとなの図工天国美術館」があり、2009 年は13のワークショップを実施した。木口木版画家の栗田政裕氏が館長である。このなかのひとつとして、孔版画によるスタンプラリーをおこなった。
 この孔版画によるスタンプラリーはいろいろな制約のなかでつくり上げ、好評を得た。本稿では、技術的な詳細やそこにつめ込んだ工夫などを報告する。


1 孔版画によるスタンプラリーとは
 展覧会の来場者である参加者は、最初の会場でポストカード用紙を受け取り、パネルの白枠にセットする。そして、孔版を下ろし、インキのついたローラーを10回ほど前後に転がす。これは謄写版の刷り方に近い。二水会館 : 黄、矢口金物店:朱、冨山倉庫:緑、五木宗レンガ蔵:紫、旧報徳銀行:黒と各会場に用意してある版を1版ずつ刷って、展覧会を観て回り、5版刷り重ねてポストカードを制作する。一般的なスタンプラリーとの大きな違いは2点。スタンプではなく孔版画を刷るということと、欄を埋めていくのではなく、刷り重ねることで1枚の版画ができ上がるということである。
 この企画のコンセプトはスタンプラリー× 版画である。これはそもそも栗田氏が発案し、2008年の常総市まちなか展覧会では、ゴム版と木口木版をばれんで刷るというものであった。コンセプトは変えずに、しかし、もう一度深めていくために、2008 年の凸版とはまた違ったものにしたいと考えた。
 スタンプラリーの役割は、この展覧会の特色とも言える点在した会場を、より多く回ってもらうことである。その達成への期待感は、参加者が各展示会場を回るうえで推進力になる。そして、版画の役割は、つくることである。参加者自身が作業することで、ちょっとした楽しみを加味する。そこで重要なのが、難しい作業ではなく、誰にでも手軽に、そして気楽にできることである。技法が複雑で、推進力を阻害するようでは本末転倒である。よって、不特定多数の参加者にとって扱いやすいことが求められる。



プリント中


2 技法と工夫
各セット基本仕様
A. 版と台:木枠と木製パネルF4 号(333×242mm)、#150 テトロン、枠内寸249×158mm、写真製版ジアゾ酢ビ系感光乳剤
B. ローラー:発泡ポリエチレン製スポンジローラー40φ×100mm
C. インキ練り板:PP 製A4クリアフォルダ
D. インキ:シャチハタスタンプ台専用スタンプインキ(品番SGN-250-Y、-OR、-G、-V、-K)
E. ポストカード用紙:148×100mm 紙質ケント紙様、約0.27mm 厚
F. 参加者向け説明書
G. スタッフ向け説明書
H.I. ウェットティッシュとティッシュ:版や道具の掃除用、手拭き用




各セット基本仕様
各セット基本仕様


版と台
 ずれないように刷り重ねるためには、紙が常に同じ場所に置かれること、版が常に同じ位置に下ろされること、この2つが必要である。
 パネルに、用紙をセットするための見当をガムテープでつくった。われわれならば、L 字型の見当を用いるが、参加者が一目でそこへポストカード用紙を置くことが分かるように、用紙と同じサイズの四角い枠にした。
 そして、版ずれを防ぐために版枠とパネルを蝶番でつなげた。このようにすることで、2度刷り、3度刷りが可能になり、よりきれいに刷ることができるようになった。枠とパネルは、ネジ止めのために木製を、用紙サイズがハガキ大であったので、作業しやすい大きさとしてF4 号を選んだ。
 蝶番でつなぐ際に、紙に対して版を浮かせる必要はない。逆に、1円玉(1.5mm 厚)による浮かせであっても、きれいに刷るためにはローラーに力を強くかけなければならず、刷りにくい。懸念される版の裏側へのにじみ汚れも、インキが多過ぎなければ、それほど気にならなかった。
 版枠を上げると、そのまま向こう側へひっくり返ってしまい、作業性が悪く、周囲を汚してしまうおそれがあった。そこで、版枠の奥の側面、蝶 番のとなりにゴム製の足をつけて、版が垂直で止まるようにした。ただ足をつけただけではパネルごとひっくり返ってしまう可能性があるため、この足の高さと位置を細かく調整した。版枠が垂直のときに、足が下とパネルの側面へ同時に当たる必要がある(右図)。天蓋用ステーは、版を上げたときの作業空間が狭まるような感じがしたので不採用にした。

















版の返り防止
版の返り防止 ゴム足の取付位置


透明テープ
 版の表に貼った透明のテープには3つの働きがある。絵柄の外周をマスキングする。平滑でインキが染み込まないため、掃除を楽におこなえる。また、透明なので、版の余白に刷り方の説明やロゴなどを焼き込むことができる。


インキとインキ練り板とローラー
 インキはスタンプ台補充液を用いた。その大きな理由は、メンテナンスフリーと紙上乾燥性にある。前者は、版上で乾燥固着しないため、毎回掃除する必要がない。後者は、刷ったものをすぐに持ち歩くスタンプラリーの性質上、速乾性が求められるが、インキが紙の内部へ浸透するので指触乾燥が早い。また、発売されている色数が10色と多かったことが、シャチハタ社製を採用した理由に挙げられる。なお、この油性顔料系は刷り重ね過ぎると油ジミができてしまうことが注意点である。
 当初は、スタンプ台にローラーを転がしてインキを巻くことを想定していた。ところが、スタンプを押すためにちょうどいい量のインキは、今回の用途にはやや少ない。そこで、確実にローラーにインキを巻くことができるインキ練り板を採用した。練り板として使用したクリアフォルダのなかには、参加者による周囲へのインキのはみ出しを防止する意図から、ローラーを動かす範囲を示す紙を入れた。その紙には、インキを巻くコツとロゴも加えた。また、10cm以上の大きいスタンプ台よりも、クリアフォルダの方が極端に安いこと は言うまでもない。
 ローラーはスポンジローラーを使用した。謄写版などで使用する硬度18 度程度の軟質ゴムローラーも使用可能である。この選択は、軟質ゴムローラーに比べて、インキの吸い込みのよさと軟らかさからである。また、決して多くはない予算のやりくりも無視できなかった。


絵柄
 原画をPC に取り込んで、文字や網点を入れて絵柄を完成させ、特色5 版に版分けをした。そこからフィルムに出力し、写真製版した。
 モチーフとして、展示会場のひとつである五木宗レンガ蔵という建物を選んだ。インパクトがあり、市内の方やこの展覧会を回った方ならすぐに分かるので、観光絵はがきとしても成り立つと考えたからである。そして、子どもが喜ぶような楽しい感じにしたくて、網点表現のポップな感じや、簡単なペーパークラフトの要素を織り込んだ。切り込みを入れて折ると、建物が立体になるというものである。また、各版の設置場所とのつながりも意識して、各建物のシルエットとイニシャルを画面の左側に配した。
 AM 網点を使用したのは、この方が、インキをコントロールしやすいからでもある。制作にかかる前の印刷見本として、どの程度の細かさまで刷ることが可能かを、実線、抜き、網点(AM、FM)、文字などで試作した。その結果、ベタ版をきれいに刷ることは意外と難しいということが分かった。ベタ部分は、色があまりつかなかったり、逆にインキ過多で油ジミになったりした。また、スタンプ補充液は本来、単色のみで使用され、発色の強い色が多いため、そこから淡くしたいという意図もあった。


説明
 2回3回と刷ってみれば決して難しい作業ではないが、参加者にとって、最初はどのようにすればよいかが分からない。各会場には受付スタッフがいるので、彼らが簡単な説明をおこなうことにした。事前にスタッフ向け講習会を開ければよかったが、会期中の開場前に簡単な説明をおこなった。
 参加者向けに説明書をつくり、セットの脇に置いた。参加者にとっての動き方、刷り方を示し、きれいに刷るコツやインキ汚れの注意などを載せた。加えて、それよりも詳しいスタッフ向けの説明書もつくった。そこには、インキの補充方法、掃除の仕方などを記載した。スタッフには不慣れな方もいたため、「5人に1回の割合で2 cm インキを補充」などのように具体的な指示を心がけた。
 きれいに刷るコツとしては、ローラーにうすく均一にインキを巻くこと。ローラーを下に強く押しつけながら転がすこと。そして、2度刷りが挙げられる。なお、スタッフ向け注意点としては、補充インキを出し過ぎないことである。
 この版は、参加者の世代によって焦点の当て方を少し変えて説明することができる。ガリ版という説明は、ご存知の世代の方には懐かしく感じてもらえたようである。若い方はシルクスクリーンという言葉に興味を持ってもらえるのではないか。幼稚園くらいの子どもにはローラーごろごろと説明すると楽しそうである。



絵柄 五木宗レンガ蔵


3 課題とその対策
参加者への対応1 子どもについて
 小学校低学年以下の子どもにとって、きれいに刷るためには力がいる作業であった。弱い力であっても回数でそれを補ってきれいな刷りができるように、ローラーを10回転がしてもらうことにしていた。しかし、小さい子どもは下向きの力を保持できず、ローラーが転がって、力が逃げてしまう。対策として、謄写版を刷るときのようにローラーを逆手に持ってもらった。それでもだめならば、子どもの力が逃げないように、スタッフが一緒にローラーを持ってフォローした。さらに、子どもが刷るときは、インキを通常より少し多めに補充した。2度刷り、3度刷りが可能であることが、この問題にとって何よりの救いであった。また、背の低い子どもの場合、机の上では作業がしにくいので、力が入りやすいようにセットごと地面に置くことで対応した。
 このように対策を考え、各会場スタッフへすぐに指示した。スタッフの協力によって技術的に補強され、会期を通じて改善されたことは、筆者にとって何よりの収穫であった。


参加者への対応2 刷りの順番について
 この展覧会には会場を回る順路が設定されている。しかし、実際は1ヵ所のみ、途中からや逆回りなど、その限りではない。そのため、どこからでも始められるようにすべての会場にポストカード用紙を用意しておいた。用意する枚数は、順路の1番目と最後に多めに配分した。最後の会場に多く用意した理由は、駐車場とスーパーマーケットに近いという地理的、ワークショップ展示という内容的な特性から、人が多く来ることが見込まれたためである。
 孔版の刷り順は、展覧会が設定した順路を想定していた。この順路のとおりに進めば、明るい色から暗い色へと刷り重なる。これは、次の版への裏移りやインキのにごりを考慮してのことである。また、主版である黒版を最後に刷ることで、画面がしまり、完成した感じがより達成感につながると考えたからである。まして、主版を先に刷ってしまったら、ネタがバレてしまう。展覧会場を回っている最中に、何ができ上がるのか分からないことは、このスタンプラリーにおいてはモチベーションの維持になると考えていた。この点にも一般的なスタンプラリーと刷り重ねとの違いがある。これらのことは、版画の完成へ支障をきたさなかった。しかし、どこからでも始められ、期待感を最後まで保てるような版分けと刷り順については、もう少し工夫する余地が残されている。


技術的課題1 ローラーについて
 スポンジローラーは片側の軸から鉤状に柄が伸びているものを使用した。今回の技法にとっては柄が少し長いため、力をかけづらい。また、毎日多くの参加者が力をかけてローラーを転がしたため、会期終了が近づいてくると柄が根本から少し曲がってきていた。ブリッジが左右の軸までわたっていて、ハンドルを逆手に持てるものの方が、力を入れやすい。このハンドルにスポンジローラーがこの技法には最も向くであろう。その際は、不特定多数の方が使用するので、ハンドルの元についているインキを避けるための突起を外すか、横向きにしておいた方が紗に対して安心である。


技術的課題2 版について
 会期中に何がおこるか分からないので、各版をもう1枚ずつ製版しておき、道具の予備も用意した。結局、この予備の版は使われなかったが、2週間の会期で黒版にはピンホールができていた。これは、刷りによってではなく、スタッフが毎日2回はおこなったウェットティッシュでの掃除のためと考えられる。黒版は汚れやすく、掃除をしっかりとおこなう必要があったからであろう。版の乳剤の種類や膜厚を変えて、試すことも考えたい。



 この版は、版画を制作している方なら、何となくやってもうまく刷れてしまう。そこで、どのくらい誰にでも刷れるかを調べるために、モニターを募った。8歳から67 歳までの11 名の方が協力してくださった。その結果、全員がきれいに刷れていたので、胸をなで下ろした。誰が刷ってもうまくいくことを目指したが、そうかといって全く同じものができても面白みに欠けるという感想は、欲張り過ぎであろうか。失敗が少ないということはクリアできつつあるようなので、刷る人の人柄が出るような懐の深いものにはできないであろうか。
 残ったポストカード用紙の枚数から推計して、延べ200 人以上の方々に参加していただいた。ここに記して感謝申し上げる。


(初出:『大学版画学会学会誌39号』大学版画学会 2010年 岩佐徹 「孔版画によるスタンプラリーの試み」)



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