ベクトルデータを版画に
ベクトルデータを版画へ利用する手段として、カッティングプロッタを用いて塩化ビニール製装飾用粘着シート(以下塩ビ粘着シート)に出力したものの製版への利用を報告する。看板サインなどに使われる塩ビ粘着シートをカットする場合、通常はベクトルデータを出力するカッティングプロッタが用いられる。写真などに向くビットマップ画像はここでは使用できない。ベクトルデータに限られてしまうが、画像データの出力によって情報を正しく視覚化する手段に加えて、モノとしておこす際に版画的な隙間を持った手段のひとつとして提案したい。版画的な、とは極めて手作業によるものであったり、製版以前からの作業工程になるべく作家自らの意思や手を介在させるものであったりする。版画には、製版以降を単なる作業にすることなく、このような隙間がたくさん欲しい。本稿では出力したものを、版材としてや、より従来の版画技法に沿った方法で用いる。カッティングプロッタで赤いマスキング用遮光フィルムに出力したものは、表層が薄いためカットが非常にシャープで製版フィルムとして完璧なため、写真製版は敢えてここでは取り上げない。塩ビ粘着シートの特徴をとらえ、版材や防蝕材として積極的にその性質を利用することで版を成立させるよう試みる。
ベクトルデータ画像作成アプリケーション:Adobe Illustrator 10.0.3。無駄なベクトルを消すため、全て選択して合流する。(fig.1)
カッティングプッロッタ:グラフテック・Craft ROBO Pro II CE3000-40-CRP2。
塩ビ粘着シート:中川ケミカル・カッティングシート。版材へ塩ビ粘着シートを通常の施工と同様に不要な部分をはがし、アプリケーションシートに転写して、版材によって湿式または乾式で版に貼付ける。(fig.2)
シートのネガポジや左右反転は版の製版方法、刷り方によって違えてある。基本的には当初の絵柄通りに刷られるようにした。コラグラフのみこの原則からは外れる。凹凸平孔の代表的4版種を取り上げる。以下、A:版材/B:版上の塩ビ粘着シートの状態/C:貼り方、製版/D:刷り
1. 銅版オープンバイト
A. 銅版
B. 絵柄反転ポジ
C. 湿式。塩ビ粘着シートを防蝕材として使用。腐蝕液塩化第二鉄。腐蝕時間180分。腐蝕後シートをはがす。
D. 凸版刷り:腐蝕時間が短かったため金属製の硬いローラーで慎重にインキを盛らなければならなかった。(fig.3)
D. 凹版刷り:ディープエッチ(fig.4、fig.5)
2. 銅版アクアチント
A. 銅版
B. 絵柄反転ネガ
C. 湿式。塩ビ粘着シートを防蝕材として使用。松脂散布。松脂定着のための熱によりシートと銅版の間の微細な気泡が、特に水分が残っていると膨張しシートが膨らむことがある。冷えるとしぼむが、細かい絵柄の時などは注意が必要である。腐蝕液塩化第二鉄。腐蝕時間18分。腐蝕後塩ビ粘着シートをはがす。(fig.6)
D. 凹版刷り(fig.7)
3. スクリーンプリント
A. テトロン150lpi
B. 絵柄正面ネガ
C. 乾式。塩ビ粘着シートは硬質で平らなものを対象としているため、ダバーなどで圧着しながらスクリーンの上側にシートを貼る。(fig.8)
D. 塩ビ粘着シートは平滑でインキをしみ込まないためスキージは滑るように刷ることができる。また、シートをはがせば汚れているのは絵柄部分のみなので掃除が非常に楽。版の再生も早い。(fig.9)
4. コラグラフ
A. PET樹脂版
B. 絵柄反転ポジ
C. 湿式。貼ったそのままが版になる。
D. 凸版刷りと凹版刷り、両者がちょうど白黒反転のようになる。(fig.10、fig.11)
5. リトグラフ
A. アルミ版
B. 絵柄反転ポジ
C. 乾式。アプリケーションシートが版面についてしまうためエッチ処理を施す。アラビアガム(SK液)塗布。(fig.12)
D. 平版。塩ビ粘着シートは貼ったまま刷る。(fig.13)
総じて元の画像のままに刷れることが確認できた。このようにすべくしてなった結果だが、そのなかで気がついたことをいくつか記す。
凹版刷りの銅版オープンバイトとコラグラフは共にポジの塩ビ粘着シートを貼り、外にインキの広がったディープエッチ状の刷り上がりになる。しかし、油膜の残りやすい部分が反転している。銅版は凸部が腐蝕されていないので白く仕上がり、コラグラフは凸部が塩ビ粘着シートなので薄く油膜が残る。
リトグラフで、塩ビ粘着シートはシリコン返しのように油性分を積極的に引き付けずインキ離れがよい。さらに凸版状になっているため鮮明に刷ることができる。厳密に見ればPS版も平凸版になっている。蛇足だが、塩ビ粘着シートの色が緑だったためまるでPS版のように見えた。銅版オープンバイトの凸版刷りが凹凸高度差の少なさのため、金属製ローラーまで使用し非常にインキがのせにくかったのと比較すると平版の便利さを実感した。
しかし、塩ビ粘着シートの厚みは両刃の剣である。リトグラフでは細かい凹部つまり狭い親水部にローラーが入らず、そこのインキ汚れをローラーでとることができない。ゴム硬度約18°の軟らかいローラーを汚れ取りに用いた。そして、スクリーンプリントにおいては塩ビ粘着シートの厚さによって刷るインキの量が多くなってしまう。インキを硬めにして対応したが、多過ぎるインキは失敗や汚れを招く。版の裏側が汚れた時に、粘着面があるため溶剤で洗うことができないのも弱点である。塩ビ粘着シートを下側に貼ったものも試したが、インキによって塩ビ粘着シートの粘着質が弱くなり、非常に刷りにくかった。また、コラグラフは凸版刷りでも凹版刷りでもその厚さが版として重要になる。コラグラフは塩ビ粘着シートの二段重ね、三段重ねなどもできる。データの段階でトンボを作成できるので正確な貼り重ねが可能である。エンボスで、または本稿のリトグラフと組み合わせても面白い。
今回は塩ビ粘着シートのみを用いたが、リトグラフでは面による表現と手描きの描線とを同一版面上に作ることができる。エッチ処理ではなく、クロム明礬で焼けば油性描画材での描画も可能になる。塩ビ粘着シートを貼ったまま油性描画材と併用する場合、やはりその厚さによる段差が問題である。また、塩ビ粘着シートをガムのマスキングとして用いることもできる。その上から油性描画材で加筆する場合はシート粘着質による汚れを目立たなくするため、刷る際に弱めのエッチ処理をする必要がある。非描画部作成のマスキングとして用いる場合、最初から水なしリトグラフとして製版するとエッチ処理がいらず、また絵柄部分の粘着質による汚れも解決される。
銅版では塩ビ粘着シートを防蝕材として使用したが、これは通常の腐蝕銅版画の制作では裏面の防蝕に使われ、それがヒントになっている。今回も銅版の裏、全面に塩ビ粘着シートが貼られている。また、深澤幸雄『銅版画のテクニック第二版』(ダヴィット社1989年)では絶縁テープなどをカットして防蝕材とし、またはグランドのためのマスキングとしても用いられている。
塩ビを使用し、当然ながら捨てる部分が多いため、環境負荷が高いことも考慮しなければならない。また、PC向けソフトの普及に対して、カッティングプロッタがあまり一般的でないのもこの技法の弱点である。家庭向けの安いものも販売されてはいるが、特殊な用途には変わりはない。
上:ポジ 下:ネガ